嫁に来ないか

ミニコミ雑誌「嫁に来ないか」の編集長のブログです。2015年おはぎ号(無料!) noteにて発売中!

3/21 その1

六本木にて、母の洋品店の店番。
17時までいることになっていたが、今月末で店を閉店にするため、母は出来る限り出たいと言って、この日は14時頃やってきた。
申し送りなどをし、すぐに帰るのか聞かれたので、幼稚園の制作物がまだ残っているからと答える。裁縫が苦手だから大変で、と私が言うと、お母さんだって苦手だから大変だったわよ、と言われる。「苦手なのに、あなた、あんな、バナナの皮の衣装をがんばって作ったんだから」
バナナの皮の衣装というのは、学芸会での私の役の衣装のことだ(いい役だった)。バナナ的な顔出しのかぶり物に、黄色の全身タイツ、ワイヤーの入ったスカートは、バナナの皮がめくれあがったような形になっていた。裁縫が苦手なのにあんなものを考えて作り上げたなんてすごい。

母が裁縫が苦手というイメージはあまりない。器用でマジメなので、やる時はきっちりやっていたからだろう。だけどたぶん、好きじゃないのだろうとは思う。長襦袢の半衿つけも、大人になってからも、いつも祖母にやってもらっていたと言っていた。実際、私に針仕事を教えてくれたのも祖母だった。別荘化した田舎の家、夏休み、畳の上で、妹と従姉妹と4人で、膝を合わせるように車座になって、はじめて教えてくれたのは返し縫い。祖母は、上手だねぇと褒めてくれ、「みんなに、ミシンでやったの?って言われちゃうよ」と言ってくれた。うれしくていっしょうけんめい端切れでお手玉を縫った。祖母は、銀座で洋品店を営んでいたことを除けば、私にとっては本当におばあちゃんらしいおばあちゃんだった。一方母は、専業主婦だったにも関わらず、子どもの私が「もっとお母さんらしくしてよ」と抗議したほどお母さんらしくないお母さんだった。
手芸屋で、母娘連れ立って入園グッズに取り組んでいる模様をよく見かけるが、もしいろいろな外的条件が整っていたとしても、私は母を頼らなかったと思う。私達はそういう関係ではなかった。

母が、店内BGMとしてCDをかけた。サザンオールスターズだ。夏休みに田舎の家に行くとき、当時は海岸沿いの国道しかなくて、海沿いの道で母がかけるのは、決まってサザンか大滝詠一だった。今、サザンをかけるのは、本人曰く、願掛けだ。

じゃあまた来週、と店を後にして、まだ明るいうちに、うれしいなぁ、と家路についた。
母の食道と喉のリンパに癌が見つかり手術となってから、かわりに店番に入る生活が半年近く続いていたが、それももうすぐ終る。帰ったら、お弁当袋とコップ袋を縫わなければ。

最寄り駅を降りて、川沿いの道、足下につくしが生えているのを見た。
春が近いんだなぁと思った。それとも、もう、春なのだろうか。